第拾話・迷夢
−月華の剣士インターネットノベル−

2000/4/21 - 2000/04/21
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分かってはいた。あの全てが『負の力』の創り出した幻だった事は。だが、今の自分にそれを破るほどの精神力が無かったのだ。あのままだったら、容易く『負の力』に呑まれていた。

だが、先程まで周りに在った奇怪な紅い闇が消え、自分の意識まで入り込んできていたようなあの「声」もふつりと消えてしまったという事は、やはり──そういう事なのだろう。

それに、目の前に居る者が青龍だという事ならば、自分と同じ紅の瞳のことも、自分がこの姿を「知っていた」事も頷ける。自分は、その存在がために生まれてきたのだから。──と、ふと『楓』の思考が、止まる。

「その存在がために生まれてきた」、つまり──

(そう、だ。俺は……)

「なあ……何であんた、俺を助けたんだ?」

痛々しいほどに無感情な『楓』の声が、無造作に沈黙を断ち切る。

『楓』の瞳が、何時の間にか曇っていた。忘れ掛けていた暗く 重い気持ちが、蘇ってくる。

『汝がまだ倒れる時ではないゆえに、我は汝をここに導いた……』

「それは俺が『青龍』だから、か? ……まだ、青龍の守護神の役目を終えていないからかよ!」

突然、『楓』は声を張り上げて青龍を睨み付け、右腕を真横に振り上げた。

「『青龍』の役目とやらを終えるまでは死ぬなってのか!? それじゃ、俺の命が『あんた』に握られてるようなもんだ。俺は好きでこの『力』を継いだ訳でも──あんたの人形でもない!!」

半ば狂乱したかのような『楓』の叫びは、幼き頃から少しずつ積もってきた──そして目を背けたかった──感情を、想いを一気にぶちまける。

しかし、ひとしきり叫んで感情の昂ぶりが治まってくると、今度は激しい自己嫌悪が心を占めた。

自分にだって分かっている。今、自分は不安や悲しみを、ごまかしているだけにすぎないのだと。こんな事を言っても、仕方が無いことだって──。

『楓』は息を吐いて一時的に跳ね上がっていた呼吸を整えると、僅かに俯いて自嘲気味に笑った。

「──って……何言ってンだろうな、俺は。これじゃあ、あんたに当たってるようなもんだぜ」

『…………』

「別に、俺は本気であんたを憎んではいないんだ。ただ……」

右腕を下ろしながら、『楓』は半ば自分に言い聞かせるように呟いた。そして、しばらく黙り込んでからようやっと顔を上げる。しかし、

「あの『負の力』の幻が言っていた事を、真に受けるつもりは無い──けど昔から、否定できないままなんだ。俺が……『青龍の力』を継ぐためだけに創られたんじゃないかって不安は……。
闘って死ぬ事も、誰かを殺してしまう事も怖くなかった。でも、その不安を指摘される事だけは恐れていたのかもしれない。──いや、恐れているんだ。
正直……失望しちまうよ。自分は、こんなに弱い人間だったのかってな」

──その表情には、悲しさや弱々しさしか無かった。それは彼らしくない──否、彼がずっと自分を偽り、抑えてきたものだったのだろう。

楓はもう一人の自分を恐れていた。自分が「自分」でなくなるのではないかという不安ゆえに。

そして『楓』は自分を偽っていた。そうしていなければ自分は、己の存在意義が何なのかを──不安をずっと抱いていなければならない。

それは『楓』にとって致命的な事だった。何故なら、楓と違い、その不安を消してくれるものは何一つ無いのだから。

『忘れてしまった訳ではあるまい? 汝が本当に独りではないことを』

『楓』の言葉を黙して聞いていた青龍は、口を開く事無く「声」を発した。だか、いかにも不安そうに『楓』は表情を曇らせ、数回頭を振る。

「分からないんだよ……。確かに、楓は俺を受け入れてくれた。でも、この不安が消えない以上、俺の方が楓を受け入れられない──いや、独りでいる事を選んじまってるかもしれない」

『……しかし、楓という少年は汝を必要としている。もう忘れてしまったのか?「朱雀」との決着を汝に託した時の事を──』

「……!……」

『必要としているという事は、楓という少年にとって、汝の存在は汝自身が考えているより大切な存在なのかもしれぬ。そして全てを汝に託したという事は、もう一人の己を信頼しているということではないのか?』

「……………」

今度は『楓』が黙る番だった。別に、青龍が今言った事を忘れていた訳ではない。

だが、それが重要な事だとは気付いていなかった。楓の存在が、あまりに近すぎたせいだろうか。ともかく、

「何だよ、悩む必要なんざ──無かったな」

拍子抜けしたような声で、『楓』はぼやいた。その表情から少しずつ、弱さが消え去っていく。

自分が何の為に創られたかなど、考える必要は無いのだ。本当に自分の存在意義を知っている人間など、そうそういない。問題は、今の自分がどう在るかなのだから。

「それに、そうだな……そこまで信頼されてるとあっちゃあ、応えてやらないとな」

そう言って、『楓』は再び小さく口の端を歪める。苦笑したのだ。

『それと、もう一つ。先程、汝は「死ぬのは怖くない」と言ったな?』

「ああ。そりゃあ、剣を振るっている以上、当然死ぬ覚悟は──」

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